小さい頃はよく遊んでいた。 その頃はまだ男の子だとか女の子だとかいう区別もなく、ただ楽しくて日が暮れるまで遊んだ。 男の子と女の子(#1) (僕達はみんないつでもそうです) そんな懐かしい日々の思い出を抱きながら立海に入学して、三日目くらいに通学バスの中でせーいちくんの姿を見つけた。 「ちゃん?」 「…せ、ユキムラくん?」 凄く仲が良かったのは小学校三年生くらいまでだった。四年生になってから自然に(あるいはそれは故意にだったのかもしれない)男の子と女の子が分けられて、いつの間にか男の子は男の子と、女の子は女の子と、遊ぶことが当然になっていたからだ。 四年生の時から二、三度学校や近所で会って喋ることもあったけれど、やっぱりお互い気まずくて会話は続かなかった。もちろん塾もバラバラだったし、せーいちくんが同じ立海に通っているということは知らなかった。だからバスの中で偶然出会って話しかけられた時にはどう答えて良いか分らずに、初めて彼の名前を苗字で呼んだ。奇妙で不思議な響きだった。 「どこのクラス?」 「多分1-A」 「多分って。俺は1-Cだよ」 確かあのバスの中ではそんな会話をしたような…曖昧な記憶がある。でもやっぱり私は何だか気まずくて恥ずかしくて、その日から朝のバスの時間をずらした。 それから噂で幸村くんがテニス部に入って凄く強いだの格好良いだのいろいろ聞いた。そういえば小五の時にテニスバック持ってる姿を見たことがあったな、頑張ってて凄いな、と思ったと同時に彼はもう違う世界の人なのだなぁとぼんやり感じた。もう私の声も手も届かないのかもしれない。 けれど彼は内面的には全く変わっていなくて、私に対して優しいままだった。廊下で会えば気さくに挨拶をしてくれたり、近所で会えば一緒に帰ろうと誘ってくれたり、小学校の時よりも積極的な態度で私に接してくれて正直戸惑ったりもした。そんな幸村くんが凄く好きだったけれど、どこか彼を昔の彼と違うように感じてしまい、私はぎこちないままだった。 (中学一年生の冬の話) ◇ 中学二年生になって、幸村くんと同じクラスになった。 毎日顔を合わせる学校のクラスの中では彼とは必要最低限の会話しかなかったけれど、時々部活帰りにバッタリ会って密かに一緒に帰ったりもしていて、私の彼に対するぎこちなさは消えていた。勿論その事をクラスの子が知ることもなく、私達は周りから完璧に「他人同士」だと思われていた。 男の子と女の子(#2) (大人になった女の子 何ももて余さないで) 秋風が目にしみる夕方の帰り道で幸村くんが呟く。 「あのさ、ずっと思ってたけど、どうして『幸村くん』なの?」 「えっと、だって、さ」 「昔みたいに『せーいちくん』でいいよ」 「そう?じゃあ『精市』が良いな」 微笑んでそう言われると、きっと誰も彼に反論は出来ない。もうそんな風には呼べないよ…と言おうとした私の口は途端に動かなくなった。ふと「微笑む」っていう言葉は彼の為に存在する言葉なのではないかと思うほど、彼はその言葉(表現)を着こなしている人だった。不思議な人。 それから彼は『せーいちくん』でも『幸村くん』でもなく、『幸村精市』という一人の男になった。そして私は少しずつ彼に恋心を抱いていく自分に気が付いた。 かといって今までに比べて何かが変わるということも無かった(期待なんて常に裏切られるものなんだよ、分かってる)。精市がクラスの女の子の間できゃあきゃあ騒がれる対象であることは一年生の時から知っていたし、精市と必要以上に仲良くして彼女たちを刺激して反感をかうのは怖い。恋心なんて抱いたところでどうしょうもなく、感情を持て余すだけだった。 彼と過ごす時間は相変わらず短いものだけれど、楽しかった。 彼が部長になった話。彼の話によく出てくる「真田」くん、「柳」くん、「赤也」くん達。みんな実際には一度もはなしたことのない人たちだったのに、そうは思えないくらい近い存在に思える。話していて精市がテニス部を大好きでとても大切に思っていることが凄く伝わってきて、こっちまで嬉しい気持ちになった。だけど何でかな、気持ちとは裏腹に心は痛くなる一方だった。その痛みは次第に増していって、どうしようもなくなって、時には彼と一緒にいるのが苦痛になるほどだった(なんて矛盾した感情なのだろう)。幸せだけど辛い。二人で歩く帰り道の中で感じた。 そして、その次の日、精市が倒れた。 (中学二年生の秋の話) ◇ 正確に言うと、倒れた、と騒ぎ立てる女の子達の会話を聞いた。騒然とする周囲の中、何故か私はひどく落ち着いていて、むしろどうしてそんなに騒ぐ必要があるのだろうとすら感じた。 男の子と女の子(#3) (こんな世界はつまらないとひとりで遊ぶ) ずっと、お見舞いには行かずにいた。行ったところで自分が弱っている精市の支えになれるわけが無いし、精市は急に倒れたくらいで弱る人間じゃないから大丈夫と、どこか確信にも似た想いを抱いていたからだった。そのまま学校は終業式を迎えて、精市がいないままの冬休みが過ぎた。彼の存在を感じない日々が続くと今まで当たり前のように喋っていたことが嘘のようだと、ふと思う。こうしてきっとこのまま他人になってしまうんだろうか。きっかけがないともう彼には近づく事すら出来ない。 しかし偶然にもきっかけはやってくる。それは突然のことだった。冬休み明けの登校日に真田くんから声を掛けられた。勿論、話をするのは初めてだったし驚いたけれど、すぐに話かけてきた大きな人が真田くんだとわかった。精市のおかげだ。「幸村が会いたがっているから、見舞いに行ってやってくれ」そう言って頭を下げられそうになってあわててそれを止めた。精市の喋っていた通りの、優しい人だった。 言われた通りに病院へ足を運んだものの、全く乗り気ではなかった。真田くんにああまで言われたから行かなくては仕方が無いのだけれど。今更彼に会ったとして何を話せばいいんだろう。もしも他にお見舞いの子が来ていたりしたら…本当にどうしよう、と、小心者の私の不安は増える一方だった。逃げる事が出来れば楽だろうけど、なんとなく、そうはしたくない。緊張して強張る身体に深呼吸を落として、病室をノックした。 「、入って良いよ」 あの優しくて懐かしいような声がした途端に、なにか、ぷつりと途切れた。涙腺かと思ったけど違う。きっと途切れたのは今まで隠してた気持ちなんだろう。やっぱり誤魔化したままではいられない。思わず震えた手で扉を開けて、久し振りに彼を見た。 精市の顔は相変わらずのやさしい表情で、病気だなんて冗談のようだった。 (中学二年生の冬の話) ◇ 会いたくなかったとはいえなかった。本当は気付いていて、それでいても尚ごまかし続けていた臆病な恋心に『彼に会わない事』でふたをして、それ以上想いが育たないようにしていた。だけれど思ったより始まった成長を止めるのは難しい。会ってしまうと今までの我慢なんてもう利かない。想いは育ってしまう一方だ。やっぱり、どうしても、精市が好きだ。 男の子と女の子(#4) (大人になった女の子 僕をどこまでも愛してくれよ) 「来てくれなかったから、嫌われちゃったのかと思ったよ」 「嫌う、なんてそんな」 「良かった。でもどうして来てくれなかったんだい?」 「来なかったのは、信じてたからだよ」 「俺を?」 「そう。だって精市はこんなところで折れてしまう人じゃないって、知ってる」 「もし俺の身体が動かないままだったとしても、それでもそう答えることが出来た?」 「…だって、精市は身体が石みたいに動かなくなったとしても、自分を犠牲にしてでも絶対にテニスを続けるでしょう?そういう選択をする人だって分ってるから」 責められているような気がしたのはきっと、彼が病気に対してまだ焦っていたからだと思う。そんな彼に出来るだけ的確にはっきりと物を言うことが、今の私の出来る限りのことのように思えた。 少しの間病室に沈黙が続いて、間の抜けた溜め息が聞こえた。 「やっぱり、のことが好きだよ」 ひどく驚いて、その後ようやく彼の放った言葉を脳が飲み込んだ。突然の思いも寄らない返事に言葉が上手く出ない。一体どういう意味で彼の言葉を捉えれば良いのかわからないのだ。混乱している私の頭に精市の声がまた響いた。 「この関係はずっと変わらないのかな」 十年と少し、『幼馴染』という重い枷を付けられていた気がする。でもそれは枷の役目と同時に、精市と自分のただ一つだけの繋がりのようにも感じていて。そんな自分に投げかけられた言葉が怖かった。変わることがこんなにも怖いなんて。 言葉を搾り出すのがただとても難しかった。どう言えば想いは伝わるのだろうか。今ここで精市がこの関係を変えようとしていて、その問いに私がイエスと答えたら、それは病気に対する同情からの肯定だと思われてしまうだろうか。違う、私はもうずっと、ずっと精市のことが好きなのだ。 「ごめんなさい、私も精市のことが好きだよ」 上手く言うことなんて出来ない。 こうしてストレートに言うことしか不器用な私には出来ない。 「びっくりした。謝るから俺、振られるのかと思ったよ」 精市が笑って、ゆっくり続く言葉を紡ぐ。「ずっと言いたかったのだけどなかなか言う事が出来なくて病気になって初めて焦るようになった」、「病気に後押しされるなんて変かな」。結局のところは彼も私と同じで、きっかけが無くて踏み出せずにいたのだ。 「もう少し寄って」 そう言う精市に、もう逆らう理由は一つも無かった。 抱きしめられて腰に回った腕が力強くて少し痛い。でもこれは優しい痛みだった。私は少しくせのある彼の綺麗な髪の毛を撫でて、ようやく前進した関係に、少し涙が出そうになった。 窓から見える夕日はもう沈みかけていたけれど、もう少し、精市の側に居ようと思った。 @biwa. くるり「男の子と女の子」 当時は続き物4話でした ( 2007 ) |