2月14日という日が女の子にとってどれ程楽しみで幸せな一日であるかくらい私だって知っている。
だけどその一日が私にとってどれ程苦痛で気の塞ぐ一日になるかはもっと良く知っている。

心なしか学校に向かう足取りは重く、二月特有の寒さが身にしみた。女子達は可愛らしい紙袋をたくさん手に提げて、きゃあきゃあと騒いでいて、そんな彼女達の会話から「本命」だの「友チョコ」だの、地雷ワードがぽんぽん発せられて私をイラつかせる。気を紛らわせるためにイヤホンをつけようと思ったら後ろから62キロに吹っ飛ばされた。


「おっす、チョコねーの?」
「いっ…た、無い、てかもう食べてんじゃん!」

口をモゴつかせながら食べ物強請るバカがいる?
いくら世間が浮かれ気分一色だからって調子が良いにも程がある。少し可愛らしいからってこんなバカに貢ぐ子の気が知れない(一体何でこんなのがモテるんだ)。


「ホラホラ出せよ、あるんだろぃ?」
「…恐喝ですか、丸井君」
「おう、恐喝でも何でもいーの。俺にとっては掻きいれ時だし。…んで、チョコは?」

話を逸らそうとしても食い下がる気は無いらしい。
流石の私でも丸井の食い意地には敵わなくて、差し出された手の上にころんとチョコを置いた。

「ひっでえ!チロルかよ!!」
「ち、チロルで十分じゃない…」

女としての色気と可愛さが無ぇ、と舌打ちをしながら銀紙を外し、口に放り込む丸井の動作の速さといったら…。そのテクをテニスに使ってジャッカルを少しでも楽にさせてあげて、と思ったのは今は置いておいて(というか文句言いながらも即座に食べるのね)。チョコ収集済みの私に丸井は興味が全く無いらしく、足早に立ち去ろうとした。きっとヤツにはチョコしか見えていない。

「ごっそさん、んじゃな」

「あ」
「な、に?チョコはもう無いよ?」

思い出したように丸井がにやりと笑って言った。

「そういや、幸村くんには手作りやんの?」
「…はい?」

「や、アイツお前に貰う気満々みてえだったけど」

ドキリとした。私が今日、こんなにも憂鬱になっている原因の核心を衝かれて胸が痛い。内心の動揺を必死で隠して「そういうことは早く言ってよ」とだけ返し、丸井を撒いたものの、バクバクと動きを急に早めた心臓はなかなか元に戻らなかった。彼の名前を聞くだけでおかしくなる。

丁度一週間前に幸村くんから唐突に「さんのチョコが欲しい」と言われた。この場合、『唐突に』という言葉がかなりのネックだ。何故ならば私は三学期の席替えで彼の隣の席に当たるまで、彼のことをほとんど知らなかったからだ。テニス部の部長をやっていて、過去に重い病気を患っていたことは知っていたが、彼は日常生活で過去のことを周りに感づかれるような素振りを一つも見せなかった。だから特に意識することもなく普通のクラスメイトとして彼と接していた。というより、そう普通に接するように努めていた。
私にとって彼はとても魅力的な人だし、毎日隣で話していくうちに魅かれる面も沢山あった。実は(多感な時期ゆえの考えでもあるけれど)すごく、すきだなあ、と呆然と感じる部分もあった。けれどそれこそ『唐突』ではないか…まだ仲良くして間もない友人にそういう思いを抱くのはおかしいことじゃないかと思って自然に歯止めをかけていた。それなのにこの状況、だ。彼が何を思って「チョコが欲しい」と私に言ったのかは全く理解できない。そしてそれが鬱の原因になった。

幸村くんのような人は当然山のように毎年チョコを貰うのだろう。両手いっぱいに紙袋を持った幸村くんの困ったようなでも優しい微笑みが容易に想像できた。彼にとってはチョコなんて(あの性格だから口にはしないものの)実際、迷惑だろうと思っていたのに。本人から直接欲しいと言われたのだ。結局考えれど、彼がどういう意味でそう言ったのかという疑問には答えが出なかったし(出る筈が無い)、仕方なく、昨日の夜にチョコを作った。

欲しい、と言われた分にはどうしようも無いし…。とりあえず朝早く幸村くんを探して、誰にも見られないうちにすぐにチョコを渡そうと思って廊下を歩いていた矢先、後ろから手首を掴まれた。


「っひ…、」
「おはよう」

「び、っくりした、お、おはよう幸村くん」

「ねぇ、まさか俺にもチロルじゃないよね?」

にこにこと眩しいほどの笑顔で突然に問いかけられた。何と言うか…朝イチからイキナリの質問。チョコをねだってきた件といい、彼は意外に唐突な人間なのかも知れない。(ていうか丸井)(後で覚えてろ)。…そしてビックリした瞬間に目に目に映ったものはやっぱり彼の手に提げられている紙袋だった。

「…あげる。けど、その前にひとつ訊いてもいい?」
「どうぞ」
「それは何?」

「ん、チョコだけど」

その一言ですっかり冷めてしまった。昨夜『仕方なく』チョコを作ったとは良く言ったものだ。本当は仕方なくなんかじゃなくて、幸村くんに食べてほしいと思って頑張ってチョコを作ったのに、私は全く素直じゃない。彼にチョコをあげる何十人もの女の子のうちの一人だと自覚させられて、凄く自分を惨めに感じてしまう。やっぱり彼の軽い気持ちで言った言葉なんか真に受けるべきじゃなかったのだ。少しうかれたばかりの、空しすぎる結末。

「ちょっと待って、どうしてそんなに泣きそうなの?」
「別に。少し情けなくなっただけだから」

「え、」
「幸村くんはひどい、かも」

「そう、俺が?」
「うん。そんなにチョコ持っててどうして私の欲しがるのか理解できない」


「っあは…」

既に自己嫌悪に陥って泣きそうな私に何を思ったのか、幸村くんは不謹慎極まりなく噴き出した。今の彼は凄く楽しんでいる顔をしている。こっちは凄く真剣だって言うのに…その気持ちすら伝わらない。

さんって面白いね…フフッ」
「何が、何処がどう面白いの私凄く真剣に」

「コレ、丸井にあげる分のチョコだから」
「え?」
「いらないって散々断ってたんだけど流石に下駄箱と机に入れられてる分にはどうしようもないから、丸井に食べてもらおうと思って」

「…ッ、断ったの?!」
「ああ、俺、好きな子以外のチョコは貰う気無いから」

さらりと言われて、考える間もなく思考回路の上手く繋がらないうちに幸村くんが質問を投げた。

「チョコはあるんだよね?」
「あ、るよ。」

「そっか、で」
「…うん」

「そのチョコは本命で貰っても良いチョコかな?」
「…私はそのつもりで作ってきたんだけど受け取ってもらえるの?」
「勿論、俺もそのつもりだよ」

幸村くんは小声でありがとうと言って、おでこに小さなキスを落とした。私はやっぱり恥ずかしくてそれから少しの間、顔を上げることができなかった。


Kiss of

St.Valentine’s Day!



(…誰もみんな素敵なロマンスしちゃうの!)


@biwa.  題名はキスプリからとった記憶が… ( 2007 )