比呂士の新居は広い。 正確に言うと、比呂士と私の(つまりは私達の)新居は広い。 至極さらりとした流れで同棲することが決まってから、すぐに彼がここを手配した。前に彼が借りていたアパートだって、学生にしては十分すぎるほど広くて綺麗だったし、私は「このままでいい」と言ったのに、比呂士が勝手にここを借りると決めた。付き合いも長くなってようやくわかったことだけど、彼にはたまに強引なところがある。こういう決め事だって、意見を求めはするものの、結局自分の思うように決めてしまうのだ。 前の住居は彼のにおいが染み込んでいて好きだった。 あのアパートのことを思い返すと、同時に色々な思い出が蘇ってくる。彼が外部の医大を受験したこと、一緒に過ごした時間、お互い余裕がなくて喧嘩したこと、くだらないこと。全部、彼との思い出だ。 今はもうあの場所に知らない誰かが暮らしている…と思うと寂しい。 だけど、文句は言わない。私は彼と一緒なら六畳一間の築歴20年のアパートだろうが、贅沢な2LDKのマンションだろうが、何でもいい。 部屋に置かれた家具はまだソファとテーブルとベットだけ。(それを良いことに、週末はIKEAまでドライブデートをする予定を立てた) お互い家から運んできた荷物はまだ解けていなくて、一体どこから手を付けようか、どの段ボールから開封しようか迷ってしまい、ぐるりと部屋を一周。 「寒い、寒い、寒い…」 ぺたぺたと、裸足で歩く音が響く。 10月の後半。まだ冬が始まったとは言い難い季節だけれど、寒がりで冷え性な私はもう音を上げてしまっている。 「そんな薄着と裸足で過ごしていれば、寒くて当然です」 ぴしゃりと彼の声が飛ぶ。そういえばキッチンに立っていたなあと思ったら、彼の手にはしっかりとマグカップが2つ握られていた。 「さんは此方ですよ」 お揃いで買ったあの有名な人魚のロゴのマグカップ。両方の中身を見ると右にはココア、左にはコーヒー。こんなに器用で気の利く彼氏って、比呂士以外に存在するのだろうか。小さくお礼を言って、差し出された右のマグを受け取る。 「ひろ、時々気が利きすぎて怖いね」 「何がですか」 「他の女の子にもこんな態度だったら、相当誤解されてそうじゃない?あーあ、私の知らないところで比呂士は女の子にモテ…」 「くだらない心配をしていないで、早く上着を着たまえ。風邪をひきますよ」 「そう だ ね ッくしゅん!」 狙ってもなくタイムリーなくしゃみに二人で苦笑いをした。 こうやって、自然にまた私たちの日常がつくられて、これからこの部屋に馴染んでいくのだろうと実感する。 「そういえば、ちゃんと持ってきましたよ」 「え?」 「はぁ…貴女のことだから、忘れているだろうとは思っていましたが。はい、どうぞ」 「え、あ〜! 懐かしい」 今度は紙袋を手渡されて、何かと思うと去年の冬に彼の部屋で気に入って着ていたフリースがあらわれた。ご丁寧にクリーニングに出された様子の赤チェックのフリース。羽織るのにぴったりで、その場ですぐに身を包んだ。 「相変わらず良くお似合いですよ」 1980円のフリースが似合うなんて、女性が喜ぶ言葉をかける。ふと、中高時代の彼のあだ名が頭を過った。本当に、比呂士は何も変わらない。(柳生ママとパパの育て方が素晴らしいのだろうけど)、紳士そのものだ。 「比呂士…」 「改まって何ですか」 「結婚しようよ」 ガタンと音を立ててマグカップがテーブルの上に不時着。 (紳士でも動揺はするんです) (でも買ったばかりのソファにコーヒー染みが出来ない程度で一安心した) 「駄 目 で す」 当社比5倍増しの滑舌の良さを発揮された上に、思いがけない拒否の言葉。びっくりして目を丸くしていると、彼が続けた。 「女性からのプロポーズは、男としていただけません。申し訳ありませんが、今回は却下します」 真面目にそんなことをペラペラ喋り出すものだから、笑ってしまう。ケラケラ笑う私を見て、比呂士は何故か得意げだった。 「ねえ、次回はちゃんと男性からのプロポーズを期待するけど…いいの?」 「勿論です」 「じゃあ、今日は一緒に寝ようね」 「…えらく脈絡がないですね」 「何でも良いから、温かくして一緒に寝よう。比呂士の横で眠りたい。却下はナシよ」 「…………当たり前じゃないですか、」 言葉を紡ぐ最中に、ぎゅっと強く抱きしめられた。比呂士のにおいに安心して、大人しくなる私は子供みたいだ。耳元で彼が囁くのがくすぐったい。 「却下どころか、こちらからお願いしますよ、さん」 100% Hotlove Cafe. ( あたたかいキスは幸せの味がする ) @biwa. その昔、100% Hotchocolate cafeという可愛いカフェがあってな(2008/11) |