春眠暁を覚えず ( 切原赤也の場合 ) 春っていうのは厄介なモンで、兎にも角にもひたすら眠い。だいたい春休みの間中、昼過ぎにぼーっと起きて、気が向けばテニスクラブに直行。帰ったら帰ったで夜中までもっぱらゲームっつー不規則極まりない生活をしていた俺は、高等部の入学式で案の定立ったまま寝コケて式典後に散々先生に怒鳴られた。最悪の高校デビューだ(あんの教師、ぜってー潰す)(まあ、悪いのは俺なんスけど)。 余談はさておき、高校に入っても俺は相変わらず 先輩たちに色んな意味で可愛がられていて、なんとなく中学二年生の日々を思い出した(なんだかんだ言っても先輩のいない一年は寂しかった)。 …しかし、最近一番厄介なのは副部長でも仁王先輩でもなく、丸井先輩だ。普段だけならまだしも、部活中も機嫌が悪く、いつになく眉間に皺を寄せ、くちゃくちゃとガムを噛んでいる姿はドンキにいるヤンキー顔負けだ。 「何でそんなに機嫌悪いんスか?」 「はぁ?うっせー、お前に教えてやる義理はねぇんだよ」 「…つか、俺に当たるのやめてくれません?」 「当たってねーっつの。だいたい1年部長したくらいで偉そうに威張んなワカメ野郎」 「ハァア?今なんつっ」 「そこ、静かにせんか!」 部活中もずっとこんな感じで、お陰様で俺は真田副部長からとばっちりを喰らい、丸井先輩と一緒にこっぴどく説教された。…毎日毎日当たられ続けるのは御免だ。願わくば、丸井先輩に平穏が訪れますように。俺は赤毛の背中に向けて、密かにそう願った。 春眠暁を覚えず ( 仁王雅治の場合 ) 眠い。あまりのダルさに頬杖をついた口元から大きな欠伸が出た。毎年春になるとクラス替え等で学校全体が騒がしくなる。低血圧の俺はそんな雰囲気がなんとなく苦手でどうにも馴染めずに、例年のオリエンテーションを受け流していた。教師は提出物の話やプリント配布で相変わらず慌ただしく教室を行ったり来たりしている。ふと目を細めて黒板の方を見ると、見慣れた赤毛が机の下でケータイをいじっているのが見えた。またコイツと同じクラスやと、騒がしくなるじゃろな…とぼーっと考えていたら、ズボンのポケットの中でケータイがブルブル唸った。 『まーた同じクラスかよ つか今日午後マックしねぇ?』 ディスプレイに表示されたのは勿論、丸井ブン太の文字で。この脈絡のないメールに返事を返さないと丸井の機嫌を損ねることは目に見えていた。断ると面倒になるので『ええよ』と端的にメールを打ち、また俺は頬杖をついて教師の声をぼんやり聞きながら浅い眠りに落ちた。 「俺はぜってー謝んねぇ」 「はいはい」 放課後、愚痴を聞くと、どうやら彼女とくだらないことで喧嘩をしたらしい。マックで暴飲暴食を続ける丸井はメガマックでは飽き足らず、ついに俺の分のポテトにまで手を付けて容器ごと残りのポテトを口に流し込んだ。こうなると手が付けられない。…全く、相談事と愚痴ならジャッカルでも相手にしてくれ、「俺かよ」という声も聞こえてきそうだが。…断ると面倒だからと丸井の誘いに乗ったことを後悔した(どのみち面倒は面倒だ)。 「なぁブンちゃん、大概にせんとまた太るぜよ」 「うっせーよ」 俺は今まで丸井の傲慢さをセーブ出来ていたサンのことを改めて凄いと感じた。今や丸井は彼女なしではどうしようもない状態になってしまうのだ。…サンもえらい彼氏を持ったのう。 春眠暁を覚えず ( 丸井ブン太の場合 ) 春休み、と大喧嘩をした。散々機嫌を悪くして周りに当たり散らかしてはいたが、実をいうと、喧嘩の理由はとうに忘れた(きっとくだらないことだ)。それでも未だに消えることのないイラつきを発散するため、部活が休みなのを良いことに、無理矢理赤也をカラオケに誘い、得意げにELLEGARDENを天才的歌声で熱唱して二時間マイクを離さなかった。…しかしモヤモヤは晴れるどころか増す一方で、俺はやり場のない気持ちを持て余す毎日を送っていた。モヤモヤっつーか、エンゲル係数も増す一方だ。 「いい加減折れたらいいんじゃねえか?」 部活中にもっともらしいことを言う相棒のスネを思いっきり蹴った。「アウチ!」ってお前、欧米か!(南米だ)。…いくら俺でもジャッカルの言うことは判っている。俺のピークに達した機嫌の悪さがダブルスに支障を来していることも、空気をいつまでもピリピリさせ続けていても意味がないということも。みんなみんな判ってはいるが、妙に高いプライドのせいでどうすることも出来なくなっている。気付いたのは俺がこんなにイライラしてるのはに対してじゃなくて、素直に折れることの出来ない俺自身に対してだということだ。 あーもう、マジどうすればいいんだよ。 パチリと割れた風船ガムの味はとうに無くなっていて、急に物悲しくなった。ポケットから出したグリーンアップルのガムは最後の一枚で、食っちまおうと包み紙をあけようとしたが、ふと、手を止めた。 ( 四の五の言わずに、俺が折れなきゃいつまでたってもこのままだろぃ ) 踏み出すことは勇気がいるが、いっそ踏み出してしまえば意外とうまくいくことの方が多いだろ?そう自分に言い聞かせ、薄緑色の包み紙に部室にあった多分柳の私物であろう筆ペンで大きく「ごめん」と殴り書いた。俺が悪かったと、意外にも本当に、素直にそう思ってしまった。 春眠暁を覚えず ( の場合 ) ブン太と喧嘩をした。春休みのことだけど、原因はやけにしっかり覚えている。私がブン太が買って来た話題のBigプッチンプリンを勝手に食べてしまったことから口喧嘩が始まって、散々「太った」だの「可愛くねえ」だの言われてそのまま大喧嘩に発展した。周りからすれば本当にくだらない喧嘩だけれど、今回はどうしても自分から折れる訳にはいかないと思った。もうブン太との付き合いは長いし、それなりに喧嘩もたくさん重ねてきたが、実は毎回喧嘩をしたら私が折れるパターンで、ブン太から謝ってくれたことなんて、ただの一度もなかったのだ。 彼の高すぎるプライドもあの傲慢な性格も知っているし、それが短所でもあり、長所でもあると思っている。ブン太を好きになったのは他でもないそのワガママでぐいぐい引っ張っていってくれる部分に魅かれたからだし。…しかし、時に行き過ぎる彼について行けなくなって今回ばかりはと気が滅入ってしまうのだ。 新年度が始まってもその気持ちは変わることなく、未だにブン太との冷戦は続いていた。 すこし、ほんの少しでいいから折れてくれればいいのに。今日も一人で帰らなければならない寂しさに涙が滲んだ。いつもは二人で帰ってたのに。どうして少しくらい折れてくれないの、ばかブン太。苛立ってガタリ乱雑に開けた下駄箱の中から、緑色の板ガムが落ちた。 『ごめん すきです まじでごめん』 よく見るとガムの包み紙に雑に書かれていた文字は紛れもなくブン太の字で。こんな謝り方をするところが彼らしくて、可愛らしくて、結局今まで何をそんなに怒っていたのか、馬鹿らしくなって笑いがこぼれた。 「…ほんと、ばかじゃないのブン太」 つぶやいたところで携帯がぶるぶる震えた。着信は見なくても、まぁわかる。「…一緒に帰ろうぜ」と少し気恥ずかしそうに誘ってくれた彼の手に、いま、私は一秒でも早く触れたい。 春眠暁を覚えず、 ( 幾度か季節が巡って、今年もまた桜の咲く季節になった。彼があの時くれたガムは今でも大事に私の鞄の中に入っていることを、きっと彼は知らない ) @biwa. この話自分では割と気に入ってました ( 2009/春 ) |