(仁王先輩、あの人なんて言うんスか) (サン?珍しいのぅ、赤也が女の名前聞くやなんて) (別に、そんなんじゃないっすよ、よく見かけるだけで) (ふーん) (…疑ってるっしょ) (まぁ頑張りんしゃい。赤也にサンはどうじゃろな) (頑張るって、何を、すか!) (サンなぁ。席近いけぇ、よう喋るし協力したってもええよ) (だからそんなんじゃないっス!) (勿論、タダでとは言わん) ((人の話聞けよ…)) ふと、良く見かけるなと思う。きっと先輩は目立つような存在ではなかったし、そう思っていたのは俺だけだろう。第一先輩の名前を知ったことだって、たまたま同じクラスだった仁王先輩が教えてくれただけだし。「仁王先輩のクラスメイトの一人」、その他の接点を探したところで見つからない。それでも俺にとって彼女は少しだけ気になる存在だった。何故かなんてしらない。 ただ、なんとなく、気になるだけ。それ以上でも以下でもなかった。 恋愛、なんて自慢じゃないがまともにしたことがない。適当に告ってきたミーハーが服を着て歩いてるような女の子とそれこそ適当に付き合って、運よくヤれればそれでいいじゃん?って考えで。好きだの愛してるだのそういう寒くなる感情は持ち合わせたことがなかった。だから俺が一人の(失礼だけど)特に目立つ存在でもない、どちらかというと地味な女の子の名前を聞いたことが仁王先輩にとっては珍しくて面白かったんだろう。 でも、もしコレが例えば恋愛ってもんだとしたら、なんて色の無い、あっさりとした感情だろう。自分が恋愛をすれば結構変わるんじゃないかと期待していたけれど、何も変わりはしない。 と、思っていた。 ぼーっと五時間目の現国の時間にそんなことを考えていたら、ポケットの中の携帯が光った。「部活前にクラスに寄りんしゃい、プリッ」とわけのわかんねぇ短いメール。わざわざ呼び出しってなんだよまたパシリかよ、と口を尖らせて、メールを返す気もしない俺は携帯をパチンと閉じた。途端、現国教師のオッサンの雷が落ちた。 「切原!ちゃんと聞いてるのか、次を読め!」 「えッ、うぃーす。あーすんません、何ページっすか」 仁王先輩のせいでうぜぇオッサンには怒られるし、とばっちりだ。しかし、俺は大人しく放課後先輩の教室に向った。(先輩の言うことは黙って聞いておくに限るっつーのは立海で痛いほど実感させられた教訓だ) 「仁王先輩、仁王さーん」 「におせんぱーーーい!俺部活行くっすよ〜!」 教室の前で無駄に叫んでみたが返事は一向にない。 三年の廊下で一人佇む姿はみじめで、まんまと新手の後輩イビリにあった俺は案の定イラついて、部活へ向かおうとくるりと先輩の教室に背を向けた。時だった。 「ごめんね、今仁王くんいなくて」 ガラっと扉が開いて、そこに見えたのはあのやる気のなさそうな詐欺師の顔じゃなくて、女の人の顔。すんませーんと謝ろうと振り返ると、あまりの衝撃で言葉が詰まる。 (チクショウ、あんの詐欺師、狙ってやりやがった) ちらりと目が合うと、先輩はいかにも愛想の良さそうな表情で微笑んだ。そういえばさっき大声で散々先輩の名前を呼んでいたことを思い出して顔が赤くなる。固まっていると見かねた彼女が口を開いた。 「君のこと、良く見かけるんだけど、仁王くんの後輩さん?」 「えっと…切原赤也、立海テニス部の2年生エースっす!」 少しテンパっていた上のいつも通りのサービス挨拶にくすりと笑う。柔らかな声がピッタリと似合う人で、喋っているうちにふと鼻腔をくすぐる匂いがした。その匂いはどこかで嗅いだことのある、少しツンとしていて、それでいて甘い矛盾のある香り。確か前に付き合っていた女の子もこんな匂いがしたけれど、違う香りの気がする。多分同じ香水なんだろうけど、全く違う香りに感じる。 放課後の教室は勿論二人きりで。青春じみたサプライズをありがとう、やっぱ持つべきものは心優しい先輩だと、ゲンキンにも思った。 「…仁王くんから聞いたけど、あの真田くん柳くん、幸村くんにまで勝負挑んだって本当?」 「ホントっすよ、俺いつか倒すつもりでいますもん、あ、今の先輩には内緒で」 ありがとう、先輩(リプライズ)。 緊張しながらも平常心を装って彼女と少しの間、話をした。こんなに上ずるきもちを味わうのは初めてで、戸惑いさえ覚えた。 が、教室の時計の針はもう3時半を指している。 (時計…なんか俺、忘れてねえ?つーか、) 「やっべ、俺部活」 「え、ああ、ごめんね」 「また遊びにくるっす!」 「あ、ちょっとまって」 「えッ」 急いで教室を後にしようとした俺を、まさか、先輩がひきとめて、制服のシャツをぎゅっとつかんだ。 「また、会いにきてね」 上目使いでそう言われてしまっては、期待しちまうだろうが。この、なんだ、その小悪魔感…くっそ、かわいい。ああ、触りてぇ。部活、なんか…、部活、なんか…。 ◇ 「赤也!あれ程言って尚、部活に遅れるとは…」 案の定、遅刻した部活では真田副部長のお説教を喰らった。けれど、うるさいお説教も鉄拳制裁も今日は全く気にならなかった。俺の頭の中では、そういえば先輩の下の名前を聞くのを忘れたとか、今度会ったらあの香水の名前を聞こうとこか、そんなことばかり考えていたからだ。説教を受け流す俺の視界にニヤリと笑う先輩が映った。 え、なに、口パク? @biwa. 実は仁王くんと女の子はグルです(2008/10/28) |